書きたいことは思いつきながらも半年以上空けてしまった。
この半年での大きな出来事は,看護学博士をとったことだろう。
今日はこのことについて。
とったと言えば手続き的なことのようにも思えるが,これまでたかだか30年だけど,生きてて一番魂が磨り減った。体重は減ったし,ちょっととってバーンアウト的な空虚感を感じたり。
Natureで博士学生のメンタルは危機的という記事を読んで,自分もそうだったかもとすら思う。でも自分の疑問と本気で向き合えた大切な時間だったし,支えてくれた人への感謝は一生かけて返していきたい。
とったことでまず変わった表向きなことは,助手から助教になったことである。
学内での役割が少し増えたり,教員としてカウントされるようになったので学内の決めごとの参政権は若干変化として感じているが,楽しみにしていた給与は変わらなかった・・・(ここ重要)。そもそも学位は持っていることが前提だからということなんだろうと言い聞かせてみる。
日本での看護における博士課程の歴史は浅い。
1988年に聖路加,1993年に千葉大,1995年に日赤などの先導で看護系の博士後期課程が設置されており,今あるほとんどの博士課程が平成の設置である。私が修了した東北大学も2010年設置,つい9年前で,私でまだ21人目だ。恩師の先生方は,当時は看護学としての博士はなかったので医学博士を取得するか,海外で博士号をとるかといった選択肢しかなかったよう。本当のフロンティアである。
昨今の看護大学の急増で大学の教員は人員不足とも言われ,看護学博士を持っていればアカデミックポストへの就職は困らないともささやかれる。けれど,それは博士の裾野が広がるまでの話で,少なくとも今から研究者を目指す若手なら博士+アルファが求められるんだと思う。それが看護科学が次の発展段階に向かう基礎になるんだろう。
博士号は足のうらの米粒,とらないと気持ち悪いけどとっても食べられないとかよく言われる(修士を出るときの研究科長からの祝辞でも言われた)。
でも,そうはいってもやっぱり研究者の通行手形,発展途上にある看護学をさらに切り開くためにはないと困ることがある。例えばやりたいことをやる,必要性を訴えるというときに偉い人,重要な人に耳を傾けてもらう難しさ,みんながフラットな視点で物事をみてくれるわけではないこと,誰が発信するかが重要になることがあることとか,いろいろな壁を感じることがあった。少なくとも博士はそういうときの通行手形となりうるし,使ってこういう障壁をとっぱらい,看護学をさらに切り開くチャンスがあることこそ,博士の一つの価値だと思う。かといってそれがなきゃ絶対だめかと言われるとそうでもないし,ふりかざすものでもないという,かなり面倒くさいものでもあることは間違いない・・・。
ちなみに現在博士後期課程があるのは,
国立で30大学31コースで定員285名,公立で31大学33コースで定員127名,私立で42大学43コースで定員221名,
合わせると103大学107コース,定員数は633名(保健学専攻も含む)にものぼる(2019年度日本看護系大学協議会のリストより)。
保健学専攻は看護学以外の専攻も合わさっているし,そもそも定員を満たすくらい入学しているのかという問題もあるが,年間100~200人くらいは新たに看護学博士になっている時代ではなかろうか・・・。
アメリカでは臨床ナースの博士課程(Doctor of Nursing Practice: DNP)がPhD(いわゆる研究者コース)よりも主流になりつつある。日本はNP養成に関する課題も山積しているけれど,こうした臨床に戻ることをベースにした博士教育もこれからますます活発化していくんだろう。
とって何をするかが試される。
自分が切り開きたい看護の話はまたの機会に残すことにします。